ファミスタをやりたい

今日、とあるプロジェクトの解散打ち上げがあった。
とあるプロジェクト自体はあまりよい結果をだせなかったのだけれども、失敗から学ぶことの多いプロジェクトだったと思っている。失敗から学ぶことはとても多い。


そこで出た話で、印象に残ったのが「ファミスタ」に関しての気づきだった。


ファミスタとはもちろんあの初期ファミコンの名作中の名作ゲームだ。


そのすごさをみなで再認識したのだ。

・リアル世界とのコラボレーション
いまでこそゲームに実際のスポーツ球団や選手が普通にでてくるが、その当時は驚きだった。当然リアルな世界のドラマを引きずってゲームにのめりこんでいった。
江川を使うのは禁じ手になったりした。

・体力という概念も持ち込んだ
それまでゲームをしている人間が疲れることがあっても、ゲームの中のキャラクターが疲れるということはなかった。ゲームがうまくいく条件はひとえにプレーヤーの操作方法にあったのだ。しかしファミスタでは、登場してくる選手が疲れていくのだ・・・。はじめは140km/hの剛速球を投げていても、5回を過ぎた頃から、球速は落ちるは変化球は変化しなくなるはとえらいことになるのだ。

きっとこんなこと、今ではたいしたことないことなんだろうけれども、子供のころの僕らにはとても新鮮に写ったし、ゲームの複雑性は遥かに増して、戦略性に富んでいたように思えるのだ。


これは僕らの生活や仕事にも当てはまることではないだろうか?


つまり、ドラマ性と複雑性のバランスだ。
長く飽きの来ないシステムを作り上げるには決してシンプルだけではだめだということだ。いま世の中がどうもシンプル イズ ベストな方向に進みがちだけれども、それは創造性の放棄であるとも思える。


僕らの世界は決してシンプルじゃないのだ。内野ゴロを軽快にさばいて、なぜか2塁に投げてしまう、そんなゲームに僕らは学ぶことが多いと気づくのだ(笑)