言葉は、強い支えになる

僕は江島健太郎さんのブログのファンである。
明快な語り口と、自分に厳しく、ダメなものを律する力のある言葉に惹かれてしまう。

それなのに、見落としてました。
日本に来られて講演されてたんですね。

9月7日 日経BP社主催のイベント「ITPro Challenge!」での講演の内容が、ZDNetにアップされている。
「収益が見えないことは、やらない理由にはならない」ZDNet Japan

相変わらずかっこいい。

「力のある言葉は、コードと同じくらい重要だ」
「ビジネスというのは、人が求めるものを提供した対価としてお金をもらうもの。でも、現代は足りないものがない時代。求められることがそもそもない中で、どう生きたらいいだろうか」
「今収益が見えないということが、(そのサービスを)やらない理由にはならない」

エンジニアは語らないことが多い。でもそれじゃダメだ。
ダメダメだ。

僕らは言葉によって、傷つきもすれば、支えられもする。人間が言葉を得てからこれまでどれだけの人を傷つけて、どれだけの人を救ってきたのだろう。
僕自身、言葉が足りなくて、人を傷つけてしまったことや、そもそも傷つける悪意をもって、ひどいことを言ったことが山ほどある。どうにかして助けてあげたい人に適切なアドバイスがないかと悩んだこともある。
傷つけることはとても簡単だ。
人間はほとんどの人がマイナスの面を持っている。
「自分は大丈夫だろうか」「自分は嫌われていないだろうか」「自分の能力は足りているだろうか」「自分は醜いのではないか」
そういったマイナスをちょっとゆさぶってあげればいい。すぐに人は傷つく。

だから逆に僕らは言葉を発することができなくなってしまった。
僕の言葉は簡単に人を傷つけてしまう。できれば平穏に暮らしていたい。僕はあなたを傷つけないから、あなたも私を傷つけないでという社会的な契約関係にあるのだ。だから僕らは温い言葉で、弱弱しい声音でしか物を語れなくなってしまった。

だから強い言葉にであうと僕らは感動するのだと思う。憧れをもってその言葉に寄り添うのだ。歌しかり小説しかりだ。

では「力のある言葉」というのはどんな言葉だろうか。

言葉が持つ力とは、なんの力なのだろう。
人を動かす力。組織をコントロールする力。大きな決断を迫る力。愛を伝える力。
すべては「他者」との関係性を劇的に変化させる力であるはずだ。

では「他者」との関係性を変える力をもった言葉とはどういうものだろうか。

つば飛ばしながら、勢い込んでまくし立てる言葉でもなければ、坦坦と理路整然とならべられた事実を語る言葉でもない。
きっとそれは「思い」のこもった言葉でなくてはダメだろう。ひとつひとつ自分の中から紡ぎだしていく言葉でないと駄目だろう。過去と現在と未来においても、有効且つ揺らぎのない言葉でなくては駄目だろう。
それはつまり他者が信ずる拠り所となる言葉でなくてはならないからだ。

「あのときの言葉に誤りは無い、その言葉を発したことを後悔はしない」
と言い切れる言葉でないと、人はそこに信頼を寄せることはできないし、そこに力は宿らない。

果たして、そんな言葉をいま僕は見つけることができるだろうかと考えたとき、途端に寒々とした思いでいっぱいになった。